内局の自衛官軽視。日本の歪んだシビリアンコントロールを問う。
防衛省、自衛隊という組織の歪み②
稲田防衛相の辞意表明。メディアでは稲田氏へのバッシング報道が相次いだ。ただ、いま日本の国防が抱えているのは、個人の資質の問題ではなく、もっと構造的な歪みだ。元エース潜水艦艦長、中村秀樹氏は著書『日本の軍事力 自衛隊の本当の実力』で、内局の自衛官軽視を憂い、歪んだシビリアンコントロールに異を唱えている。
20代の若手内局が「下っ端の自衛官」と暴言
旧内務官僚が旧軍人と自衛隊を監視せねばならなかった時代は過ぎ去りました。現在では、内務官僚も軍人もいなくなったのに、背広組(=内局部員)が制服組(=自衛官)より優位だという異常な体制のみが残っています。
私自身、入庁後間もない20 代の若い内局の部員(初級尉官相当)が、30代の古参3佐(少佐)を捕まえて「下っ端の自衛官」と暴言を吐くのを直接耳にしたことがあります。その思い上がりは、一体どこからくるのでしょう。また、部員と自衛官が混在する情報本部や防衛研究所では、部員が上級者や上司である自衛官を軽視するのは日常的な光景です。課長に過ぎない某部員は、自分の上司たる部長(自衛官)を差し置いて、他の部から調整に出向いた私にこう言い放ちました。
「自分の意見が部の意見だ。部長は私が指導する。」
私は開いた口がふさがりませんでした。要するに、上司である部長は自衛官だから、その意見はどうでもいいということです。
ある先輩自衛官の手記には、海上幕僚長や地方総監(中将相当の海将)の名を呼び捨てにしている部員の話が載っていました。昭和40年代に某大手新聞社(今では反日の代表になっている)が発行した本にも、1佐(大佐)相手に若い部員が机に足を上げたまま応対した話が残っています。程度の差こそあれ、昔も今も基本的に変わらない風潮から見て、長年にわたり部員達に、そういう教育が行われているのは間違いないでしょう。
内局部員にとってシビリアンコントロールとは「軍事に対する政治優先」ではなく、「自衛官に対する部員優位」なのです。防衛庁が独自の採用を始めるまでは、内局部員が他省庁からの出向者で占められ、主要ポストも他省庁に支配されていました。
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